ことわざの一部を「ちんこ」にすると下ネタっぽくなる!?
ことわざの中でも、ことわざの一部、ありますよね。そこをちんこに変えれば、下ネタっぽくなるんじゃね?と思った。
・犬も歩けば棒に当たる
→「ちんこも歩けば棒に当たる」
=類は友を呼ぶ
・猫に小判
→「ちんこに小判」
恐らく、痛い。
・桃栗三年柿八年
→「桃栗三年柿ちんこ」
桃と栗は実るまでに3年かかる。ところで、柿はちんこ(唐突)
・猿も木から落ちる
→「猿もちんこから木」
ちんこから木
・青菜に塩
→「青菜にちんこ」
ん…!?いみが、わかりませんね
・石の上にも三年
→「ちんこの上にも3年」
ちんこの上に3年もいるほど動かなければ、その人は忍耐強いのだが、まあ、ちんこは潰れる、という意味。
・秋茄子は嫁に食わすな
→「ちんこは嫁に食わすな」
ウンチ!ウンチーム結成!
・虻蜂取らず
→「虻蜂ちんこ」
両方を取ろうとしても、結局両方ちんこという事。
・山椒は小粒でもぴりりと辛い
→「ちんこは小粒でもぴりりと辛い」
追記:これに関して詳しくは弊誌記事「ズル剥けポークビッツ」をご覧ください。リンクは貼らないので自分で探せ
・知らぬが仏
→「ちんこが仏」
ちんこを神として祀っている神社ならあるみたいですけどね。
→「人間万事ちんこがちんこ」
ちんこはちんこ。当たり前。
・立つ鳥跡を濁さず
→「立つちんこあとを濁さず」
濁さないのか(困惑)
・鉄は熱いうちに打て
→「ちんこは熱いうちに打て」
熱いわ打たれるわ、踏んだり蹴ったりのちんこであった。
・情けは人の為ならず
→「ちんこは人の為ならず」
そうかもしれませんが、人の世を俯瞰して見れば、ちんこは人のために積極的にかけていくべきだと思います。人々のちんこのかけあいがなくなってしまったら、我々はどうなってしまうのでしょうか。一人一人がちんこをかけあうからこそ、皆が幸せに暮らせるものと思います。
・二階から目薬
→「二階からちんこ」
三階でも四階でも、どんと来い。
・二兎を追う者は一兎をも得ず
→「二ちんこを追うものは一兎をも得ず」
ちんこを追ってただけなのに両方のウサギに逃げられる不幸。
・ぬかに釘
→「ちんこに釘」
やめてくれ。
・ぬかに釘
→「ぬかにちんこ」
絶対に5chのオナホスレにある。
・人のふり見てわがふり直せ
→「人のちんこみてわがちんこ直せ」
直せるもんなら直したい。
・ミイラ取りがミイラになる
→「ちんこ取りがちんこになる」
1億総ちんこの時代は近い。
・耳が痛い
→「ちんこが痛い」
はい!
・目からウロコが落ちる
→「ちんこからウロコが落ちる」
ちんこも生え変わりの時期
→「焼け石にちんこ」
暑そう!
・来年のことを言うと鬼が笑う
→「ちんこのちんこをちんこちんこちんこ」
なるほどなあ…深い…
いかがでしたか、下ネタっぽく見えましたか?僕には見えませんでした笑笑
では良い夜をお過ごしください、メーリクリスマス🎅
ほかにも真面目な記事を書いてるので、是非読んでね〜