アアアア〜〜〜ン!!ウンコ!ウンコ!ウンコ!ウンコ!ウンコ!ウンコ!ウンコ!
前書
本稿はかのパスカルとデカルトの有名な哲学的相対性理論議論について深く考察していくものである。我々はどこから来てどこへ行くのだろうか?やはりそれは我々の知るところではない。故に、我々こそ真実を知るべきではないのか。つまりそのことを省察する、ということ自体が齟齬を生むこととなるということもできよう。そういったアリストテレスの考えを踏襲し、それを鑑みた上でこの議論についての懸案とする。
第1章 まんげ
うんちブリ!!!
イクイクイクイクイク
アア〜〜ン
アアアア〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン
ケツゲ!ケツゲ!ケツゲ肛門パンチ👊
これ、全部おならの音なんです。
実は。
第2章 今日の朝ごんはケツ毛おアナルまわりの体毛のソテー焼き
ネットなどで、けつのことを「けっ」と書く人がいるじゃないですか。ああいうのは日本語を勉強し直したほうがいいかと思います。
まんげ
行く!行く!行く!行く!行く!行く!いく!行く!行く!行く!行く!行く!行く!行く!行く!行く!
第3章 右金玉VS左金玉 いまゴングが鳴る
バナナなのかソーセージなのかはっきりしてほしい。
ま、結局流行るのは精液風呂だよねえ。結局は。いや何って、陰茎の話です。
4日かけてこの論文を書き上げました
飽きたので終了